私がおたくになったのは
学生の頃わたしは全くジャニオタではなかった。どちらかといえば若手俳優さんが好きだった。
そんなわたしがジャニオタになった理由、ワケを自分を振り返るために書き残しておこうと思う。
学生の頃ジャニオタまでいかなかったが普通にジャニーズの歌は聞くしジャニーズが出ているテレビ番組は見ていた。
ジャニーズは
デビュー前のKAT-TUN(聖、赤西)
デビュー前の山田くん裕翔龍ちゃんの3人組
Jr.に入ったばかりの美勇人
NEWS(錦戸)
そこらへんが好きだった、
ただ本当に好きだっただけで生で見たいとかコンサート行きたいなんて全然なくて、
地元でやる嵐のチケット(まだ今ほど人気ないとき)を姉が取ったとき誘われたけど友だちと遊びたくて断った程だ。
でも人生ではじめて買ったCDは
関ジャニ∞の「好きやねん、大阪」である。
なんで買ったかは本当謎。
専門学校に入り上京。
周りにジャニヲタはたくさんいた。
カラオケに行って歌いながら踊る、時には歌わず踊るジャニヲタの友だちに引いていた。
そんなわたしも大人になって
社会人として働いて、毎日終電、徹夜は当たり前。そんな私の唯一の癒しは平ちゃん先生だった。
日曜21時、忙しすぎてリアルタイムで観れることは少なかったけど平ちゃん先生のために1週間頑張って、平ちゃんのおかげで1週間頑張れた。
本当に体力的にも精神的にもしんどくて、辞めたくて仕方なかったけど平ちゃん平ちゃん言ってひたすら働いていた。
そんなわたしの同期は所謂エイターだった。
「そんな平ちゃん好きなら関ジャニ∞のDVD全部貸してあげる!」と言われ
「貸して!」即答だった。
コンサートDVD、MV、エイトレンジャー、特典映像… その子が持ってるもの全て貸してくれた。
それからは、終電で帰って朝出社するのがめんどくさくて会社に寝泊まりしてたわたしが
終電で帰宅して1日1本以上観て、ちゃんと朝仕事に行って…の繰り返しだった。
全部観終わって同期に返したわたしは少しずつ沼に落ちていくことにまだ気づいてなかった。
「どうだって?」と聞かれ
「8UPPERSのDVD(ドラマの方)欲しい!」
「kicyuが可愛い!」
最初はそれだけだった。
でも同期は仕事中にパッチのDVDをヤフオクで落としてくれた。
エースがかっこよすぎた…
顔はもちろん、身体もキャラも何もかもがどストライクだった…
平ちゃん先生がやってる頃、関ジャニ∞は「関ジャニズム」の真っ最中だった。
コンサートに行きたかったけどどう頑張っても休みなんて取れなくて、東京公演の夜数時間だけでも無理だった。
エイターの同期も諦めていた。
そんな完全に諦めモード、むしろもうすぐ仕事がひと段落つく、お疲れ様モードの中
奇跡はやってきた
関ジャニズムオーラス、1月12日が休みになったのだ。
しかし休みだと決定したのは1月11日の22時過ぎ。
もうすぐそこにオーラスは迫っていた。
どうしても行きたいわたしは同期に相談した。
同期はあらゆる手段を駆使してチケット、帰りのバスを手配してくれたのである。
13日には朝一で仕事だからどうしても日帰りで帰ってこないといけなかった。
もう天才かと思った。
(最初がこんなところから始まったから今ではコンサートギリギリでもチケットも交通もどうにでもなると思っている)
仕事が諸々終わって家に帰れたのは12日になってからである。
深夜にタクシーで帰宅。
12日の朝、8.9時に東京駅で同期と待ち合わせしわたしたちは大阪に向かっていた。
新幹線では
ジャニーズのコンサート=団扇
の法則があったわたしは同期に団扇を貸してもらい作成し、ひたすら関ジャニズムを聴いていた。
グッズが欲しいまではまだいってなかったし、大阪にはじめてきたのでとりあえず大阪観光をして会場に向かった。
普段はバンドのライブに行くばかりで、
アイドルコンサートはモー娘。に何回か行ったことあるだけで、こんな女の子が多い現場ははじめてだった。
どこをみても女女女…
ふわふわしてる女の子…
メンバーカラーをいれてる女の子…
レンジャーコスをしている子ども…
実際見ると衝撃だった
ペンライトは同期が貸してくれたので
ペンライトと団扇を持っていざコンサート!
楽しかった…
本当楽しかった
これしか思い出せない
終わって夜行バスの時間があったので急いでバス停に向かったけど気分はルンルンだった。
東京着いて同期と会社向かってボディシール落として、そのまま仕事へ。
はじめてのコンサートは色んなタイミングが重なって奇跡的に行けて、日帰りでも十分楽しかった。
ここから関ジャニ∞の沼に落ちて行くのは簡単で早かった…
それはまた別のお話…
わたしが関ジャニ∞の沼に溺れたキッカケは確実にこの同期だ。今はもう連絡先も分かんないし仕事続けてるのか、何してるのかもわからないけど…
ありがとう同期